きったんの、その一足が道となる

kintoneを使った業務改善の記録

実践に役立つ学習をするために考えること

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学習とは、何かを経験することによって、その後の行動が半永続的に変化することである

 

先日「どういう学習をしているのか」という話になったので、自分がどのように学習ついて考えているか文章にまとめてみました。

 

 

知識と知恵の話

まず私が大切だと思うのは、「知識を組み合わせる知恵をつける」ということです。

たくさんの知識を持つことは大切ですが、それを適切に取り出せなければ意味がありません。

ですがそもそもの知識のストックがなければ組み合わせも限られてしまいます。

知識のストックは、自分がインプットすれば増えていくでしょう。
ではどうやって知識を組み合わせるのかということですが、2通りの段階があると思います。

料理に例えてみれば、

作りたい料理から材料を選ぶ

冷蔵庫の中身を見て料理を決める

まずは作りたい料理から材料のパターンを覚えることです。

そうすることで「これを作るためにはこれとこれを組み合わせればいいんだ」というストックが溜まっていきます。

また、料理を作っているうちに「足りない材料」を揃える必要が出てくるので、新しい知識を得ることにもつながります。

この経験を積んでいくとやがて冷蔵庫の中身を見て料理を決められるようになります。

「これとこれを組み合わせるとこうなるのではないか」というひらめきにつながっていくということです。

 

ここで大切なのはそのひらめきを実行することです。

失敗してしまうことが多いのですが、それでもその失敗からまた新たなことを得る。それを繰り返すことで知恵がついてくるのかなと思います。

 

失敗は成功のもとなんていいますが、失敗したままでは成功のもとになりません。

失敗「を」成功のもとにできるように、工夫しながら繰り返しやっていくことが大切だと思います。

 

思考の話

思考は、考えや思いを巡らせる行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。

 

私はもともと持っていたのかどこかで身につけたのかプログラミング的思考を持っていると思います。

プログラミング的思考とは、自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力

 

結果や目的をイメージして、その道筋を見つけ出し、正しい一歩が踏み出せるかどうか。

大きな結果にたどり着くためには小さなことを積み重ねていかなければならない。

私はこれはスポーツの経験から来ています。

 

試合に勝つという最大の目的のために、チームとしてやるべきこと、ポジション別にやるべきこと、そして個人としてやるべきことに落とし込んでいき、試合を意識して一つ一つの練習やトレーニングに取り組んでいました。

スポーツの経験は今の改善に対する思考にもつながります。

試合に勝つために、個人はもちろんチーム全体の練習メニューやトレーニングさらには意識まで変えていくという取組は、社会人になった今会社に利益をもたらすために業務改善をしていくことと何ら変わりはありません。

過去の経験からこういった思考も身についていったのだと思います。

 

群像の感覚の話

これは「学習」とは直接関係ない話になるかもしれませんが、
学習をするためのきっかけや何を学習しなければならないかを見極めるために重要な感覚だと思います。

群像の感覚とは、社会に出た時に自分の強みは何なのか。そして、自分の実力が周囲と比べてどのポジションにあるのかを客観的に見定められる能力。

 

「群像の中に自分を置いてみて、自分がどういう状況で、どの役だったらできるのかって、客観的に見る目はありますか?」

5、6年前のことでしょうかはっきり覚えていませんが、テレビで林修さんがお話ししていた内容だけははっきりと頭に残っています。

このテレビを観たときに、自分の感覚が言葉になっている、と思いました。

 

私も昔からふと気が付くと、今いる場所を防犯カメラの映像のように別の自分が上から見ているような感覚になります。

アメリカンフットボールというスポーツをしていたころ、練習や試合をビデオに録り、練習や試合後に集まって動画を観ながらミーティングを行います。

オフェンス、ディフェンスのフォーメーションの特徴から、進行中のプレーの流れを予測し、味方メンバーの役割と動きを把握して自分の動き方を決める。

これをプレー開始の一瞬で判断するのがアメリカンフットボールなんです。

練習動画を観て自分やチームのプレーを反省するということがまさに「客観的に自分を見る」ということです。

 

「群像の感覚」はこうやって自然に身に付いていったのかもしれません。

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最後に

学生の頃まったく勉強せず筋トレばかりしていた私ですが、ここ数年1日1時間〜2時間の勉強を欠かしたことはありません。

勉強をすればするほど知らないことが増えていき、どんどん沼にハマっているような気はしますが。

 

学生時代に持てなかった学習の目的や目標が歳をとってハッキリと持てるようになったことが要因かなと思っています。

 

もしくは、「脳みそまで筋肉でできてる」とずっと言われてきたので筋トレしてる感覚で勉強してるのかもしれませんね。

 

思いの他長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。