きったんの、その一足が道となる

kintoneを使った業務改善の記録

山川商事の経理社員として一歩踏み出した話

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数年前のこと、私は未経験で経理に配属されました。
特に経理がやりたかったわけじゃない、それでも会社に残るなら経理をやるという選択しかなかった・・・
そんな思い出の記録です。

経理への異動まで

今から10年前、3度目の転職で入社しました。
製薬会社の製造ライン作業員として配属され、来る日も来る日も薬の製造をしていました。
1日の仕事は全て指示が出され、製造量も決められた量、作業時間も決められた時間。

完全年功序列の人事制度。
やり方に不満があっても「決められてることだから」と変えることはできませんでした。


一番「キツイ」と感じたのは目標がなかったこと。目標がないから評価もない、当然達成感を感じることなどありませんでした。
そんな毎日が仕事ではなくただの作業でしかない、5年後10年後同じ仕事をしていて幸せになれるのか?そう感じ始めてからはどうしても気持ちが入らなくなりました。
入社から1年半、隠れて転職活動もしながら毎日がただ過ぎていきました。

ある日、経営者と話しをする機会がありました。

 

経理をやってみないか?」

 

経理なんてやったこともないし、考えたこともなかった。
「目立たない雑用係のような部署」そんなイメージですら持っていました。
そもそも未経験どころか知識もない人間にできるのかとも思いました。


それでもせっかく声をかけていただいたし、やってみてダメなら辞めたらいいと開き直り、「とにかくやってみます」と答えました。

そこで私を待っていたものは

やると決めればスイッチが入るもので、1ヶ月死に物狂いで勉強し、簿記2級は取れました。あとはやりながら覚えていこう、そう考えていました。
デスクワークができることに喜びを感じ、異動の日、事務所に向かいました。

そこで私を待っていたものは・・・

爺さんと婆さんが担当していたとは知ってはいたが、まさかここまでだとは。
意気揚々と事務所に入る私を待っていたのは、波平さんが働く山川商事のようなオフィスでした…

PCのないオフィス

山川商事

パソコンなどない、紙と電卓で「頑張る」経理…やり始めて感じる「なんなんだこの作業は」どう考えても昭和の経理
古い会計ソフト専用のパソコンはありましたが、出力したものを電卓で再計算されられるというお決まりのアナログ思考。

やる気を無くすのも時間の問題だな・・・というのが第一印象でした。

踏み出せば

始めてみれば私が経理未経験だったということで、「経理作業とはそういうもの」という考えしかなかったので無駄にやる気が削がれることはなく、むしろ「この作業は効率化できる」う思いが自然と湧き出してきました。


まずパソコンを買ってもらい、データベースを構築するところからのスタート。思い起こしてもなかなかに骨の折れる作業でした。


「まずは紙と電卓をExcelに」それだけでも相当の効率化ができました。
業務改善できそうという意欲は、やがて大きなやる気に変わっていきました。

当時DXなんて言葉はなかったけれど、無意識に目指していたのはそこだったのかもしれません。

 

 

踏み出せば、その一足が道となる。
その一心で荒れた野原に経理マンとしての一歩目を踏み出しました。